岡田繁幸さんが71歳で死去された死因は!マイネル軍団総帥で有名な人だった!

岡田繁幸さんが71歳で死去された死因は!マイネル軍団総帥で有名な人だった!

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競馬ファンなら誰しも覚えている「マイネル~」「マイネ~」「コスモ~」の冠名の馬がいますよね♪

そのマイネル軍団を束ねていた岡田繁行さんが、死去されたという報道が広まっています。

岡田繁幸さんについて詳しく振り返ってみたいと思います。

目次

岡田繁幸さんが71歳で死去された死因は?

岡田繁幸さんの死因は明らかにされていませんが、腸関連の病気ではないかと噂されています。

↓岡田氏はかくしゃくとして活躍されていた

71歳と若くして亡くなられている(しかも71歳の誕生日に!)のですが、近年は腸の調子が悪くて原因不明の下痢症で悩まされていたようです。

腸の調子を整えるために、糖質を制限する療法などを取られていたようですが、2月11日にビッグレッドファームでのイベントも欠席されていたようです。

↓その時のイベントの様子がこちら!

このイベントは、北海道新冠町での種牡馬の展示会で、ジョーカプチーノ、ロージズインメイ、ダノンバラード、ゴールドシップ、ウインブライトなどがお目見えしたようです。

ということで、極めて重要なイベントだったのですが、岡田さんは欠席されまして、この頃から不調だったのでは?と言われています。

岡田繁幸氏について書いてみる

新しいファンは知らないことが多いかもしれませんので、詳しく書きますね。

岡田氏は、北海道の牧場の長男として出生されました。

獣医の勉強をするために、日本大学農獣医学部に進学後に中退されます。

そして、アメリカ・イギリスと馬産の修業をされた後1974年(昭和49年)に独立されます。

ビッグレッドファームを設立し、1986年には、クラブ法人 ラフィアン・ターフマンクラブを立ち上げます。

これが、今日の(牡馬は)マイネル、(牝馬は)マイネ、(牡牝関係なく)コスモの冠名で走っている馬になります。

岡田氏の悲願はダービー制覇

所属馬が走りだすと、ホースマンの岡田さんはやはりダービー制覇を夢見ることになります。

あまり有名血統でないところから、活躍馬を出すことでその名を馳せた岡田さんですが、グランパズドリーム(=祖父の夢 父 カブラヤオー)がダイナバリバーの2着に入ったのが最高だったのでした。

(ダイナガリバーとグランパズドリームの着差はわずか半馬身だったのは有名ですね♪)

それ以降、岡田さんはダービー制覇に執念を燃やし、北海道の牧場をくまなく回って、馬を見る目が肥えていたと言います。

わずか、400万円で購入したコスモバルクはホッカイドウ競馬所属のまま、中央の芝に挑戦します。

いきなり3連勝(重賞2つ含む)を上げた後、中央入りして皐月賞2着、ダービー8着、菊花賞4着と快走します。

古馬に入っては、世界の強豪を相手にジャパンカップ2着と大健闘したのが記憶に鮮烈でした。

↓こんな伝説もあります!

競馬界のジンクスとしては…

有名な馬主さんがお亡くなりになったりすると、”その所有馬が走る!”というのは有名な話でして、人気には関係ないとのこと。

↓温厚で絶対怒らなかったと言われる岡田氏

“メジロ”で有名な、北野豊吉さんが亡くなったときは、土日で4頭も連対したという伝説もあります。

しかも、人気は全く関係なく、ということですので、今週末にJRAに向かう人は、要注意と言えそうです。[ad7]

岡田繁幸さんが71歳で死去された死因のまとめ

スポーツ紙の報道によると、ビッグレッドファームも「突然のことで情報が得られていない」と説明していることから、かなり急激に容体が悪化した可能性が高いですね。

それにしても、ビッグなホースマンだったと言えるのではないかと思います。

地味な血統で、大快走して穴を演出、というのがマイネル軍団のイメージですので、今後も関係者の努力を期待したいです。

岡田繁幸さんの弟さんの岡田牧雄さんの関連馬のデアリングタクトが3冠牝馬に輝いていて現役ですので、こちらの活躍にも期待が高まります。

ご冥福をお祈りいたしております!

この記事を書いた人

こんにちは!ITEMCUBE管理人・翔平です。平日の楽しみは、美味しいおつまみをお供に、ドラマ鑑賞!国内外問いません!休日は趣味のゴルフを満喫中。みなさんの気になる情報を発信できるよう努めてまいります。

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