ドイツやスペインといった強豪国を倒し、日本でも熱狂的な盛り上がりを見せたサッカーワールドカップ。そのワールドカップで、三苫薫選手の奇跡的なパスを受けてゴールを決めたのが田中碧選手です。
今回は、そんな田中碧選手の幼少期からの生い立ちや経歴・移籍情報について調べてみました。
田中碧(たなか あお)選手の生い立ち
- 生年月日:1998年9月10日
- 年齢:24歳
- 出身地:神奈川県川崎市
- 身長:180cm
- 体重:75kg
- 血液型:B型
- 所属:フォルトゥナ・デュッセルドルフ
- ポジション:MF
- 利き足:右足
- 背番号:4
田中選手がサッカーを始めたのは幼稚園のときで、小学校入学と同時に地元のクラブである「さぎぬまSC」に入団しました。同クラブには田中選手のほか、カタールワールドカップで活躍した三苫選手、板倉選手、権田選手が在籍していました。
田中碧(たなか あお)選手の経歴
川崎フロンターレ下部組織時代
小学校3年生時に「川崎フロンターレ」の下部組織に入団した、田中選手。ユース時代には背番号10をつけており、チームの中心選手として活躍していました。
川崎フロンターレ時代
2016~2018年
2016年にユースからトップチームへの昇格が決まりました。入団1年目は同じポジションに日本代表の大島僚太選手らがいたことやけがの影響もあり、出場機会はありませんでした。J1リーグ戦デビューは、2018年9月の北海道コンサドーレ札幌戦で、後半アディショナルタイムにプロ初ゴールも決めました。
2019年
背番号を25に変更して臨んだ2019年は、3月の横浜F・マリノス戦では急遽先発出場し、アシストを記録。その後も同ポジションを守る大島選手のけがが続いたことや守田英正選手の不調などもあり、田中選手は守備的ミッドフィールダーとして試合に出続けました。最終的にこの年は24試合に出場し、ベストヤングプレイヤー賞に選出されました。
2020年
2020年はチームのシステム変更により、アンカーと呼ばれる2人のセンターハーフの後ろに位置して守備を担当する役割を担いました。ただ、守田選手がアンカーのポジションに定着したことで、田中選手はインサイドハーフでプレーすることが増えました。
また、同年のサンフレッチェ広島戦では自身初の1試合2ゴールを記録しました。結果的にこの年はシーズンを通して5ゴールを決め、自身初となるベストイレブンにも選出されました。
デュッセルドルフ時代
2021年6月にブンデスリーガ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフに期限付き移籍が決定しました。移籍後の初出場は8月20日、ホルシュタイン・キール戦でした。
移籍後初ゴールは、2022年4月8日のハンザ・ロストック戦。チームの勝利に貢献すると、同月には期限付き移籍から完全移籍になることが発表されました。
田中碧(たなか あお)選手の日本代表での活躍
ここからは、田中選手の日本代表歴を見ていきます。
2019年トゥーロン国際大会でU-22日本代表に選出され、この大会で日本は準優勝を果たしました。田中選手個人としては、初戦のイングランド戦でマン・オブ・ザ・マッチに選出されるなど活躍を見せました。また同年12月にはEAFF E-1サッカー選手権2019の日本代表にも選出され、ボランチとしてA代表デビューを果たしました。
2021年の東京オリンピックでは全6試合に先発出場し、メダル獲得を目指して奮闘しました。
代表初ゴールは、2021年10月、FIFAワールドカップ・アジア予選のオーストラリア戦でした。
そして、記憶に新しい2022カタールワールドカップでは日本代表としてグループリーグでは2試合に出場しました。グループリーグ3戦目の強豪スペイン戦では三苫選手のゴールラインぎりぎりからの折り返しのボールを押し込み、チームを逆転勝利に導きました。この試合で田中選手はマン・オブ・ザ・マッチに選出され、チームのワールドカップベスト16進出に大きく貢献しました。
田中碧(たなか あお)選手のプレースタイル
田中選手のプレースタイルとして特徴的なのは、ボランチとして危機回避能力に優れていることとミドルシュートが挙げられます。
先日のワールドカップでも田中選手はセカンドボールへの対応や味方のパスの出しどころになるポジショニングなど、危険の芽を摘む動きでチームを助けていました。また、守備的MFながらミドルシュートを積極的に放つ場面も多く、相手にとっても脅威となっています。
最後に
ここまで見てきたように、海外のリーグでも日本代表でも活躍を見せてきた田中選手。ワールドカップでの活躍により、ビッグクラブへの移籍もささやかれている田中選手が今後どのような道を選んでいくのか楽しみですね!